障がい者が防災に取り組みたくなるインセンティブの一考察 -高知県災害弱者支援センター設立に向けた取り組み過程での雑感-
「マーケティングの究極の目標は、セリング(売り込み)を不要にすることだ」は経済学者ピーター・ドラッカーの有名な言葉だ。
「防災の究極の目標は、啓発を不要にすることだ」と置き換えることはできないか。我が街高知県高知市は自主防災組織率H28.4.1時点で89.1%と公表しているが、H29年度の市民意識調査で49.8%が自主防災組織を知らない、69.4%が防災訓練に参加したことがないと答えている。
数字を見るだけでは今後時間の経過とともに周知度が上がるのかどうか判断は難しいが、市民という「個」は多種多様な背景を持ち都市化の中で関係性が希薄なままでそれぞれの「個」が行動に移すだろうか。
さらに高知市は約3万人の避難行動要支援者名簿を作成している。今後「個別避難支援計画」策定に取り掛からなければならない。もし、要支援者が積極的に支援計画作成に取り組み始めたら…。
高知市内で小規模な障がい者就労支援を行うNPO法人の「高知県災害弱者支援センター設立の取り組み」から考える。
1 高知県災害弱者支援センター設立の取り組みを始める
平成27年4月、高知県産学官民連携センター(通称ココプラ)の土佐MBAアドバンスコースに「高知県災害弱者支援センター設立」をテーマに1年間受講することとなった。
土佐MBAとは正式には「土佐まるごとアカデミー」と呼ばれ、本年で7年目を迎え、これまで累計で17、000名の県内事業者や起業を目指す人々がそれぞれのビジネスや地域の活性化をテーマに受講している。
数あるビジネスコースの中でアドバンスコースを選択した理由として、本コースが受講生の自身のアイテムが地域の人たちを巻き込んだ取り組みを行うために必要となるテーマを学習し、地域産業の発展に貢献できる人材に成長することを目的にしているというところに魅かれた。
まさに、筆者が運営する障がい者の就労支援のためのNPO事業はいかに地域の人々を巻き込むことができるか、これに尽きると日々考えている。さらに、来る南海トラフ地震に障がいのある人たちがいかに備えるかという課題も地域の人々を巻き込まずして解決できないことを思えばアドバンスコースは最適であると考えた。
斯くして高知県災害弱者支援センター設立への取り組みが始まった。
2 知的障がい者を社会資源として活用する
アドバンスコース初日には受講者一人ずつが自身のテーマをプレゼンすることとなっていた。他の受講生はタイトルを見れば大体のイメージが掴めるが、筆者の場合はタイトルを見ても他の人たちにはイメージが湧かないと考え物語を作った。
皆さん
今から少し想像力を
発揮してください
ついに「南海トラフ震災」が・・・
壊滅的なダメージを受けた
高知県 そして 高知市
生き残った人々は
誰もが 呆然と 立ちすくんでいる
そのとき・・・
明らかに障がいがあると思われる
青年が
がれきの下敷きになっている高齢
の助成を救おうとしていた
立ちすくんでいた人々は
口々に「危険だ」と叫んだ!
中には「何をやっているんだ」と
怒鳴る者さえいた
しかし
まったく無駄のない動きで
救出作業をする 彼の姿を見た
群衆は・・・
この物語の 続きは
皆さん一人ひとりの
頭の中で 広がったでしょう
私には夢があります
障がいのある人たちが
自分の命は自分で守る
「自助力」を身に着けるための
教育の場を作りたい
これまで支援される側と思われた
彼らが
たくさんの災害弱者を
支援する
そんなシーンを目の当たりに
することができたら・・・と
これは皆さんの協力があれば必ず 実現 します
パワーポイントで視覚によるアイキャッチとともに語りかけることで他の受講生も筆者のテーマを理解していただけたと思う。
筆者は障がい者就労支援として、就労継続支援A型・就労移行支援という福祉サービスを提供している。区分を特に設けず、知的・精神・身体ともに受け入れている。精神・身体障がいの場合は身辺自立・経済自立という点に多くの課題が言われるが、知的障がいの場合はさらに「社会的自立」という課題が加わり地域の人々の理解を求めなければならないことが多い。
筆者の提供する福祉サービスは比較的軽度障がいの人(知的であればB判定)が利用することから、外見からは判断が難しく、少し話しただけでは判断がつきにくい人もいる。彼らは避難行動要支援者としてリストにも上がらず、18歳で特別支援学校や高等学校を卒業すると大半の人が防災に関する情報を手に入れる手段を持たないし、持ったとしてもフォローがないと理解することは困難である。
一方、筆者の運営する福祉サービス事業は「菓子工房レネー」という店で菓子・パン製造販売で収益を上げているが、平成25年にISO22000という食品の安全に関する国際規格の認証を受けている。高知県内の施設では初めてで、当時の新聞報道によれば西日本でも初めてだとのこと。現在も他の施設が認証受けたというニュースはない。
一般企業においても県内1企業しか認証を受けていないということはそれだけ「小難しい」のである。この難解なISOシステムを彼らはこなす力を持っている。彼らの能力は防災においても社会資源として活用しなければならない。そのためには、特に知的障がい者に特化した教育システムが必要である。
支援センターはその学びの場として平成31年3月までにめどを立てたい。
設立のための資金は、菓子工房レネーの収益金の10%を充てたいと考えている。アドバンスコースの初回、筆者のプレゼンは以上であった。
1年間の受講機会を得ることができ、多忙な毎日の中考える時間を確保できたことは有意義であった。
筆者は研究者でもなければ、防災士の資格こそあれ特に組織に所属した活動をしている者でもない。
ただ、彼らに寄り添いそれぞれの力量に応じた「自立」を目指して指導している。
東日本大震災による様々な状況がNPO法人ゆめ風基金等から情報として入ってくるが、聞くに堪えないものばかり。震災直後の障がい者への行政機関の対応の横柄さは、平常時には隠れていても非常時になるとあからさまに表れる差別感情であるし、避難所にも行けず家に閉じこもり食料がなくなり困難を極めた経験や障害者施設の運営継続不能により利用者が行き場を失う様が筆者には具体的な映像として想像できる。何といっても衝撃的なのは障がい者の死亡率が健常者の2倍だということだ。
これ程の大きな被害を受けたにもかかわらず、この教訓を生かそうという動きは時がたつに従い小さくなっているとの東北障がい者団体の報告を読んだとき、ふと我が住む街「高知市」はどうだろうかと。
高知市は今後30年以内に震度6弱以上の揺れが起こる可能性が74%と予想されている地域であるが、アドバンスコースで受講した平成27年当時で既に4年の歳月が経過していたが、行政からのアクションは国からの指示と思われる震災を契機とした統計を取るためのアンケート調査だけである。
災害時要配慮者への対応で精いっぱいのところに、リストに載らないグレーゾーンへの対応を求めたところで何のリアクションもないだろうということは想像できる。それなら自分が作ってやろうと意気込んでの「高知県災害弱者支援センター設立」だったが、いざシステム設計となるとそれほど多くの情報をもっているわけでもないので困難を極めた。
まずは自らが学ばなければならないのでアドバンスコース受講中に防災士資格を取得した。また、福祉担当部署や相談支援センターに東日本震災の轍を踏まないためにも小規模な福祉事業所こそBCP計画が必要だから定期的に開催している会でBCP策定についての研修をと要望したが梨の礫だったため企業向けBCP策定研修を受講した。
3 3つのアクション「体験・教育・活動で来る南海トラフ震災に備える」~障がいのある人たちが活躍するための脱!!災害弱者運動~
当事者目線で寄り添いともに歩んできた彼らが、大震災が来た時に確実に生き残り、様々な場面で防災の担い手として活躍できるその場面を実現するために考えた筆者なりのイメージ図(別添図)である。研究者の方々からは幼い稚拙だという批判もあるだろうが、当時の筆者の能力の限界であると思ってもらいたい。
高知県災害弱者支援センターは、障がい者に分かりやすく3つのアクション「体験」「教育」「活動」の段階を踏んで防災教育を展開する拠点である。
幼少時から障がい児教育で行われている体力づくりや社会体験と同じように、福祉避難所での宿泊や地震・津波のメカニズムを体で覚えるための体験学習を積み重ねてもらう。
青年期を迎えたら、障がい者のための防災士養成講座を受講してもらい、受講後は地域や学校に出向き防災出前講座を実施する。専門家や行政職員とは一味違う講座は経験を積むごとに上達するだろう。
一定の教育が行き渡った資格取得者はセンター職員として採用し他の当事者のリーダー的存在として活動してもらおう。
当時の筆者の思いとしては「菓子工房レネー」での彼らの仕事への取り組み方として、道しるべとするべくISO22000を認証取得した経緯があり、防災に取り組むための組織編制のためのマニュアルとして、事業継続マネジメントシステムISO22301があることを知り目標点として掲げた。
あまりにも突拍子もない話のように思われるかもしれない。しかしこのように考えてみていただいたらあながち不可能な話でもないのではないか。
高知県内には知的障がい児・者の和太鼓チームがある。少年期から体力作りのために毎日ジョギングを積み重ね、和太鼓の打ち方やリズムを徐々に体に浸み込ませていくのである。毎年様々なイベントに呼ばれ20人ぐらいの編成で和太鼓を奏でる姿は壮観である。
彼らはできるのである。教育プログラムがありさえすれば。
支援センターでの様々な支援プログラムについては、県内大学・高専、行政(県・市)、県・市社会福祉協議会、災害ボランティア、建設業協会、障がい者団体、広く県民・市民に呼びかけ運営委員会という形で指導していただいたらいいのではないか。
「土佐の日曜市で災害弱者支援センターの設立資金のため販売活動を実施」
平成27年の1年間はひたすら走りながら考えた。さらに、活動には資金が必要で、小規模なNPOにはちょっと「あだたぬ」(土佐弁で収まりきらないという意味)ことをしていると自戒を常に伴いながらも、とにかく形を作りたいという一心で、「土佐の日曜市」といえば観光名所の一つになっているがそこに小間を構え菓子や自園で育てた野菜等の販売に精を出した。この活動は現在も続けている。
4、障がい当時者の生の声を聞く
平成28年になり、いよいよ支援センター設立に向けての活動に入るのだが、呼びかける障がい者団体の反応は良くない。
実は、行政関係者からの反応は実によかった。勿論金を要求するわけではないから向こうも否定する必要もないのであるが、会ったらいいという人々を紹介もしていただいた。
高知県立大学災害看護グローバルリーダー養成プログラムの神原咲子教授との出会いがあったからこそ現在も支援センター設立のための活動を継続できているといっても過言ではない。
神原教授の手を借りて、28年度は3回のワークショップを開催した。
第1回目は平成28年10月30日に開催した。県・市の防災担当者、福祉関係者、教育関係者、当事者からは知的・身体(視力障がいを含む)・精神障がいのある方、重度脳性麻痺で人工呼吸器を使用していて在宅酸素は24時間使用しているという5歳の男児の母親、その支援者である訪問看護関係者など会場に来るのもかなりの準備の必要な方まで約30名の参加者を集めてのWSとなった。
県・市の防災関係者にとって初めて当事者の生の声を聴く機会となった。
障がい当事者からは筆者にとっても初めて聞く内容も多かった。災害時に心配なことは、被災後医療用酸素と電源・必要な医療資材などが確保できるかどうかという問いかけで初めて在宅でかくも重度の人々が生活をしているのだと。
自助・共助・公助という言葉があるが、24時間電源が必要な人たちは聞けば聞くほど自助については良くぞここまでと言うほど準備をしている。これ以上は公助、つまり行政の責任ではないか、と心の中で呟いたものだ。
「WSの様子。防災・福祉・教育関係者と障がい当事者が一堂に会した」
それぞれの当事者からも個人情報の公表についての不安や車椅子で登れる避難ビルはあるのかなど、当事者の特性によって必要な情報は異なってくるということが如実に表れた結果となった。しかし、参加者からはいろんな意見が聞くことができてよかったとの感想が聞こえた。ここで筆者が声を大にして言いたいのは行政や福祉・看護・教育関係者、さらに当事者に至るまで誰も組織を背負って来ていない、一個人として参加していることである。それだけに声掛けするのも大変だったがその分内容も濃かったと思う。
この勢いに続けと、当時者に支援センターの取り組みへの関心を持ってもらおうと障がい児対象のイベントへの参加、さらに今後の活動に向かったアイデアソンと支援センターの資金稼ぎの一翼を担うべく高知県特産のフルーツトマトを使用して商品開発した「高知ラスク」のお披露目を兼ねた支援センター準備室の活動パネル展と積極的に動いてみた。
5、障がい者が防災に関心を持つインセンティブは何か
28年度のWSや養護学校PTAでお話しさせていただいた際の保護者からは、「日常的に時間的な余裕を持って生活していない中に、災害が起こったらどうするかというようなヘビーな課題を考える余力はない」「避難タワーのスロープがきつくて上まで上がることができず断念した。もう訓練に参加したくない」「訓練に参加したいと言ったら断られた」というようなネガティブな意見が出てきた。要はめんどくさいのである。これは、障がい・非障がい関係なく「めんどくさい」のだと思う。
確かに命に関わることなのだが、行政がしっかりとやってくれたらいいと大半の人が考えている。行政にお任せなのだ。当事者においても全く変わらい。日常的に不便を強いられることが多い彼らは、当然災害という非常時になったらますます不便を強いられることは分かっている。なのに、行動は弱い。
では何があったら、どういう状況だったら防災について考え始めるのだろうか。福祉も医療のケアもすべてサービス化されどんどん受け身になっている中で、何が介在したら自らが動こうとし始めるのだろうか。
6、これがインセンティブの一つかも
そこで、平成29年には当事者がWSに参加するのがかなり困難だということもあり、こちらから障がい当事者を訪問して防災に関する関心度やどういう条件が整えば防災訓練等に参加しようと思うか等について、聴覚障がい・発達障害児の親・交通事故による頚椎損傷の車椅子利用者・養護学校保護者会での座談会・精神、知的障がい・重度脳性麻痺による24時間人工呼吸器を使用している障害児の親など16名から聞き取りを精力的に行った。この取り組みに地元の新聞社が連動して筆者の手の回らない当事者への聞き取りを行い、2週間に及ぶ連載記事につながり貴重な障がい当事者の声として広く県民の知るところとなった。
「H29.9.5-9.21まで高知新聞の2週間にわたる特集記事「共助の地図 障害者と考える震災ハザード」のトップバッターとして筆者の活動が掲載された」高知新聞社 2017/9/5共助の地図 障害者と考える震災ハザード(1)バリア– 声を聞いて明らかにhttps://www.kochinews.co.jp/article/123212/
筆者の聞き取りでは、大半は災害時に避難所には行かないと言う。備えとして津波の来ない地盤が強い地域に耐震の家屋を建て、さらにソーラーシステムを完備し電源を確保している当事者家族もいた。近隣で気心知れたコミュニティに避難するという方もいた。重度障がい者の場合は環境の激変によるダメージは致命的になる可能性が高い。できるだけ環境を変えずにということだろう。そのために、災害への備えの関心は強い。しかし、避難訓練には大半の方が参加したことがない。地域コミュニティとは積極的な交流はないが、当事者同士で助け合うことは想定している。
どういう条件だったら避難訓練に参加してみたいと思うかの問いには、「知り合いの当事者から誘われたらいくかもしれない」「障がい者用の受付があるなど受け入れてもらえる雰囲気があったら行ってみようかという気持ちになるかも」という意見があった。
日々、周囲の視線を感じながら生活をしている親たちからその様子を笑い話のように明るく話していただいたが、心痛める日々を送られているであろうにその強靭な精神力に脱帽し、そりゃあ行きたくないわなあと筆者も思う。
そんな時「11月5日に高知医療センターと県立大学の合同避難訓練が実施されるので当事者の方で参加する方がいないか」と神原教授から連絡を頂いた。それで、聞き取りをする際にぜひ参加してみませんかと声掛けすると同時に、これまで聴き取りした方々にも呼びかけたところ結構反応が返ってきた。
興味を示したが結局参加できなかった方もいたが、息子さんが重度脳性麻痺で四肢麻痺・てんかん・全介助・胃瘻栄養のためかなりの重装備で参加された母親、精神障がいで当日はかなり気分的にしんどいながら無理を押して参加した女性、頚椎損傷で電動車いすの全介助が必要な男性が介助者とともに参加、知的障がいの男性は自力で、車いすであるが自力での移動が可能な男女と、当事者6名・介助者3名が参加に応じてくれた。全員避難訓練は初めての経験で、受け入れ側も同様に初めての経験。お互い初めての経験だったが、とにかく一度は自らの体力がどれだけ持つのかなどを確認してみたかったようで、「ここまでは想定内です」と言いながら急な坂を登る姿が印象的だった。
「H29.11.5に行われた高知医療センター・高知県立大学合同避難訓練に初めて障がい当時者が参加した。当事者も全員避難訓練は初めての体験だった。」
彼らはなぜ避難訓練に参加してくれたのだろう。
一つには、医療センターや県立大看護学部ということで万が一のときの安心感があった。そのため重度障がい児の母親も災害時の自分の体力がどこまで持つのか等の確認ができた。
二つ目は、参加しませんかとの呼びかけがあったことで、これまで地域の避難訓練があっても躊躇していた人が反応してくれた。声掛けがあったことで安心して参加することができた。
三つ目が筆者としてはとても重要な点ではないかと考えている。
聞き取り方式は当事者若しくはその家族宅でほぼ1対1で行った(養護学校での複数の保護者との場合も例外的にあった)。自宅に招かれるということでまず心を許してくれている。アイスブレイクの世間話から始まり少しずつ本題に入るという時間の余裕もある。そして、災害時の対応などの話を共感しながら聞いていくといろいろと本音で話してくれた。
筆者の実感として、災害が起こったらという不安を心の中には持ちながらも行動に移せずにいる当事者は結構多いのではないだろうか。訪問を受けてかなり打ち解けた状況で話したことで信頼関係が構築され、避難訓練参加という「行動」に移るきっかけとなったのではないかと考えられる。
高知市においては、約3万人の避難行動要支援者「個別避難支援計画」を作成しなければならないが、都市化が進む高知においては前述のように地域コミュニティとはあまり関わっていない要支援者がかなりの数おられると思われる。その方々の心を溶かすことができるのは同じ立場の当事者ではなかろうか。「一緒に個別計画を考えませんか」「一緒に避難訓練に参加しませんか」と声掛けすることで腰を上げる人は決して少なくないと考える。また、当事者の防災への関心が高まり行動に移ることで一般市民の行動にも大きな影響を及ぼすのではないか。
今、筆者の活動は神原教授の提唱する「減災ケアコミュニケーター」として活躍できる当事者の育成にシフトしている。当初、障がい者防災士資格を創設できないかと考えたが、この形が少し実現の方向に向かっていると言える。まだまだ目標にはほど遠いが一歩一歩前進している。
ただ残念なことに筆者のNPOは小規模の障がい者就労支援事業所である。「ヒト・モノ・カネ」不足は否めない。障がいのある人たちがISO22000認証取得したシステムで安全安心な菓子を製造し収益を上げ、その10%を高知県災害弱者支援センター設立の資金に活用すると高らかに宣言したものの、台所事情は常に厳しい状況である。単発の助成金は獲得できても継続は困難である。
それならば、筆者の掲げた「脱!!災害弱者運動」に共感していただける方々がさらにパワーアップした形で全国に広げていただき、情報を共有しながら全体の底上げができるようになればこんな素晴らしいことはない。